毎年ご好評いただいておりますアラダスカレンダー、今年もできました〜!!
アラダスカレンダーもこれで7個目。
毎年テーマを決めておりますが、2012年のカレンダーは花札と禅語です。
しかも今度はスペシャルバージョン、例年より一枚多く挟まってますよ!
そして今年もカレンダー詰め詰め作業をスタッフで行いましたー!
そうなのです、あのカレンダー、1月〜12月までのセットをつくり、
ケースに入れ、さらに袋に詰め、郵送用の封筒に入れるまでの作業…
実はアラダス内で手作業で行われていたのです〜。ビックリした??
この日ばかりはアラダスはカレンダー屋さんになり、
内職ばりにもくもくとカレンダーを詰めていくのです。その数400個…!
この400という数は、アラダスがみなさまに支えられてきた数でもあります。
こうやって今年もカレンダーをお配りできるのは
日頃お世話になっている方々のおかげです。
ほんとうにありがとうございます!!
感謝の意を込めて近日中にカレンダーをお届けしますのでしばしお待ち下さいませ!
またこのカレンダーをご希望の方は、この記事の末尾にお知らせを書いていますのでご覧下さい。
今年のテーマは花札と禅語と書かせて頂きましたが、
花札はご存知の方も多いと思いますが、禅語はあまりなじみのない言葉かもしれません。
せっかくなのでここで説明を書かせて頂きます〜。
禅宗といえば、かの達磨大師を始祖とする、臨済宗や曹洞宗が日本でも有名な宗派の一つですね。
その禅宗独自の言葉として広まったものが禅語で、
先人たちの禅の心や、悟りの境地を綴ったものです。
禅宗の言葉と言っても、
実際には人生の意味や、生活に役に立つ心が表されているものなので、
普段日常でもよく耳にしたり、現代の私達にもやさしく響く言葉が多くあります。
茶道が禅宗のお坊さんの修行の一つとして、抹茶と一緒に日本にもたらされたことから、
茶室にはいつも禅語のお軸を飾るなど、お茶の世界でも大変に馴染みの深い言葉です。
今回はこの禅語の中から、季節に合わせた12の言葉と、
アラダスから思いを込めた一言を選んで
表紙とそれぞれの月に掲げていますのでここでご紹介致します。
表紙…【一期一会】いちごいちえ
言わずと知れた、大変に有名な言葉ですね。
私はこれを見るといつも「花より男子」を思い出してしまいますが…。
どんな些細で短い出会いであれ、今こうして出会っているこの時間は、
二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。
だから、この一瞬を大切しましょう。
千利休の茶道の筆頭の心得です。
アラダスも、お世話になっているみなさまとの出会いも大切にしたくこの言葉を選びました。
一月…【松樹千年翠】 しょうじゅせんねんのみどり
何事もうつろいやすい世の中にあって、
季節に関係なく美しい緑を保ち続ける松は、
万古不易の真実の象徴です。
周囲に惑わされる事なく変わらないものの美しさを表していると思います。
二月…【梅花和雪香】 ばいかゆきにわしてかんばし
庭に雪が積もっていても梅の香りがどこからか漂ってくる。
梅は春の訪れを感じさせ、見えない梅の奥ゆかしさ、気品を詠った言葉です。
寒い冬などの苦難に耐えてこそ得られる高潔な人格を思わせますね。
三月…【桜花無尽蔵】おうかむじんぞう
桜の花の一輪のは短い命であっても、そこに永遠の生命を見出す禅人の境涯。
桜の花が満開になり、花吹雪のように花びらが次々と舞っている姿が思い起こされて
とても春らしい心の和む風景です。
四月…【春眠落日遅】しゅんみんらくじつおそし
春眠暁を覚えず、を思い出します。
春ってどうしてあんなに気持ちが緩んで心地よく感じるのでしょう。
春の物憂い昼下がり、日の暮れるのもゆったりしている、
季節感ある言葉です。
五月…【薫風自南来】くんぷうじなんらい
元は唐の文宗皇帝(840年没)が起承を、
それに詩人の柳公権(856年没)が転結を返した漢詩から来ています。
人皆苦炎熱 人は皆、炎熱に苦しむけれども
我愛夏日長 私はその夏日の長きを愛す
薫風自南来 薫風が南から吹いて来て
殿閣生微涼 殿閣に涼を生じて得られる清々しさよ
この暑さを流してくれる薫風とはすなわち、
ふだん私達が捕われがちな損得や利害、善悪や愛憎などのいわゆる相対的な思想を、
一陣の薫風によって吹き払ったさっぱりとした境涯であり、
一切の煩悩の垢の抜けきった無心の境涯を表しています。
実はこの詩には後世の詩人蘇東坡が付けた続きがあり
上流社会を戒める批判の詩としても有名なのですが、
個人的にはここに紹介したように、
辛いことがあってもやがて薫風が訪れる日が来る。
東北の地震のような災害があっても、時が経てばやがて花は芽吹き春が自ずからやって来る。
そんな解釈の方が合っていると思います。
六月…【水滴々】みずてきてき
水が一滴、また一滴と滴る様子はそれだけで涼やかな夏の景色ですね。
その一滴の水もやがて大河となり海となることができます。
一滴の水の雫も、大河も水も同じであるという心の広くなるような言葉です。
七月…【竹葉々起清風】たけようようせいふうをおこす
こちらも南宋末の禅師、虚堂の漢文の一説が元になっています。
誰知三隠寂寥中
因話尋盟別鷲峰
相送当門有脩竹
為君葉々清風起
虚堂禅師の住まう鷲峰庵に、かつての三人の弟子や友人が訪ねてくれた。
別れがたく見送って門まできてみれば脩竹があり、
まるで君達の為に葉々が清風を起しているようだ。これをせめてもの餞別に代えよう。
せっかく出会えたかつての友達ですが、次にいつ会えるかは分かりません。
清らかな心の交流にも似た、脩竹の起こす清風。
別れ際に竹がさやさやと清風を送っている音が聞こえてくるようです。
八月…【秋月揚明輝】しゅうげつめいきをあぐ
こちらも漢詩から。
ですが作者には諸説あるようです。(陶淵明作、 顧愷之作または 顧愷之「神情詩」にも同句があり。)
春水満四沢 春には、雪解け水で四方の沢が満ち
夏雲多奇峰 夏には、入道雲が峻烈な峰のように湧きたつ
秋月揚明輝 秋には、月が、澄み渡る夜空の中天に輝き
冬嶺秀孤松 冬には、雪の嶺に聳える松の姿が際立っている
中天の晧々とかがやく名月、まぎれもない輝かしさ。
名月を愛でる。日本人の心ですね〜。
カレンダーの中でもこの月は特別です。
まぎれもなく輝く月に、まぎれもなく輝くアラダスメンバー…?!
九月…【秋菊有佳色】しゅうきくかしょくあり
中国の詩人陶淵明の詩の一節です。
秋菊有佳色 秋の菊がきれいに色づいている
裛露掇其英 露にぬれながらその花びらを摘んで
汎此忘憂物 このお酒に浮かべると
遠我遺世情 私は世のことを遠く忘れていく
一觴雖獨進 杯を重ねるうちに
杯盡壺自傾 壺は空になってしまった
日入群動息 日は沈み、周囲も静かになり
歸鳥趨林鳴 鳥達は鳴きながら巣に帰る
嘯傲東軒下 私も軒端で放吟すれば
聊復得此生 まるで生き返ったかのような心持ちになる
中国ではお酒に菊の花を浮かべて飲むことが、古からの慣習だったようです。
菊と言えば邪気を払うものとして、重陽の節にも用いられる、長寿の象徴です。
特に秋の菊には素晴らしい趣があり、菊人形のお祭りもあちらこちらで見かけますよね。
花札では「花見て一杯」「月見て一杯」という役がありますが、
「菊浮かべて一杯」も風流ですな〜。
十月…【紅葉舞秋風】こうようしゅうふうにまう
散りそめた紅葉が秋風に舞っている様子で、晩秋の寒々とした光景。
秋は山が色づいて、春とはまた違う美しさがあります。
散り行く最期の一花のようにも見えます。
一葉一葉がその瞬間を燃やすように秋風に舞う様子は格別ですね。
とくに桜と違って、紅葉は地面に落ちても奇麗なのも好きなところです。
ところで紅葉とセットの鹿ですが。
なぜ鹿がセットなのかというと、雄鹿は秋になると雌を求めて鳴くからなんです。
古今集、猿丸太夫の俳句そのものですね。
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
十一月…【深雲古寺鐘】
絶海の「蕉堅稿(しょうけんこう)」から。
流水寒山路 谷川の水音を聞きながら、山路を歩けば
深雲古寺鐘 どこか遠くでお寺の鐘が鳴っている
静かな自然の情景ですね。
ただ山道をあるいていれば出会える雰囲気でもありません。
なかなか忙しい毎日だと難しいですが、
心静かに、自然と一体になって、透き通った気持ちになる必要がありそうです。
先日寺部で高野山に行きましたが、まさにこんな風景をそのまま絵にしたような場所でした。
静かな自然の情景そのものが、ほとけの姿であることを現した禅語です。
十二月…【歳月不待人】 さいげつひとをまたず
確か高校の教科書に出てきましたよね。
陶淵明。懐かしい…。
長いですが、懐かしいので載せてみます。
人生無根蔕 人の人生には草木のように根を張る拠り所もなく
飄如陌上塵 ふわふわと舞う様子は、道ばたの塵のようだ
分散逐風轉 ばらばらになり、更に風に吹かれて散って行く
此已非常身 同じようにい続けることはできない
落地爲兄弟 この世に生まれ落ちたならば、みんなが兄弟だ
何必骨肉親 血を分けたものだけが兄弟でなはい
得歡當作樂 楽しく過ごせる機会があるならば、喜んでそうしよう
斗酒聚比鄰 隣人を集めてお酒を飲もう
盛年不重來 人生の最盛期は二度と来ないのだ
一日難再晨 今日という日は二度と来ないのだ
及時當勉勵 楽しめるときは大いに楽しもう
歳月不待人 時の流れは人を待ってはくれないのだから
最期の「及時當勉勵」ですが、
確か「時は待ってくれないから頑張って勉強しよう」ではなくて、
「遊べるときは今しかないのだから多いに楽しもう」という意味だと習った覚えがあります。
「生きているうちが花ではないか」という訳も見つけ、これは素晴らしいと思いました。
ただ、遊べ、と言っているのではなく、おおいに人生を謳歌しよう、という事だと私は思います。
以上、簡単に解説を書かせて頂きましたが、
もちろん色々と調べていますが、基本的には私なりの解釈となっています…
漢詩の訳も一部を除き、自分で付けさせて頂いたので、
もしかしたら違う解釈もあると思いますが、
アラダスとしての考え方の一つと捉えていただければ幸いです。
監修は茶道裏千家の西島宗暁先生にお願いしました。
さてここからが本題…?!
アラダスカレンダー、無料で差し上げます!
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